「見えるという事」
皆さんは、目に見えない存在のこ事を、どのように理解しておられますか?
目に見えない存在とは、人間の様な肉体(身体という物体)を、
持たないけれど、確かに存在しているものです。
目に見えない存在も人間と同じように「良い存在」もいれば、
「悪い存在」もいます。
「良い存在」とは、人間の幸福を願い、人間にとって良い影響を、
与えてくれる存在です。
(私がお会いした中で、もっとも「良い存在」は「神様」です。)
「悪い存在」とは、自分以外の存在に対しての愛が無く、
自分の欲望にのみ生きている存在のことで、
人間に対しては勿論のこと、
全てに対して悪い影響を与える存在です。
「悪い存在」は人間の欲望を嗅ぎつけ、その人間の欲望を利用し、
自分の欲望を叶えようとします。
平気で人間に対し「自分は神だ。」と偽る様な存在もいます。
そして、質の低い情報を人間に吹き込み、
混乱させ、利用します。
欲のある人間はその嘘にまんまと騙されますが、
騙された人間は気が付かず、いろいろな人を巻き込み、
更に他の人々を混乱の渦に巻き込みます。
私の様に、目に見えない存在が見える者にとって、
最も力を注がなければならない大切な事は、
「自分自身を清め続ける。」という事です。
自分が欲を出せば、欲の有る存在に目を付けられ、利用されます。
それによって人を巻き込む恐れがある事も、
よく理解しておかなければなりません。
自分の清まり度と、自分の見える存在の清まり度は、
イコールです。
つまり、自分が清まらなければ、
清まった存在が見えないという事です。
見える人間は、自分が今何が見えているのか?
という事を慎重に常に確認しなければなりません。
(それを本当に正しく認識出来ている方と、
私は未だかつてお会いしたことがありませんが。)
「清まった存在は人間の肉体のような形が無い。」
又は、
「人間の様な形が見えるのは低い霊を見ているのだ。」
「本当に清まれば光しか見えない。」
などという様なことを仰る方がいらっしゃるようです。
真実を体感をしていない方が仰られる、大きな間違いです。
その様な方達は本当にご自身を清められて来たのでしょうか?
神様に近づこうと、命がけで自分自身を清め続けてきた、
私が言えることは、本当に清まっていれば、
神様のお姿が見えるという事です。
鈍くなく、圧倒的な集中力と全身での体感から、
普通ではあり得ないような微妙な違いまでリアルに感じ、
瞬時にその情報を正確に処理出来るからこそ、
姿を見ることができるのです。
そして、清まった存在は人を利用しようとは致しません。
清まった存在が見える様になると、
「悪い存在」に巻き込まれる事もありません。
大人が子供の未熟さが理解出来るように、自分が清まれば、
未熟な存在(悪い存在)の有り様が理解出来るので、
そこに巻き込まれる事は無いのです。
そして、もう一つ申し上げたいのは、本当に清まるとどうなるのか?
今の世の中では、肉体が悲鳴をあげると言うことです。
私は毎日、世の中の「気」の悪さに、
本当にしんどい日々を送っております。
それは、自分の中にある「気」と世の中に渦巻いている「気」に、
違いがあり過ぎるからです。
自分の中の「気」が清くなく、
世の中の酷い「気」とさほど差がなければ、
しんどいとは感じません。
「パワーのある人は、少々の悪い気なら吹き飛ばせる。」などと、
おっしゃられる方もいらっしゃるのでしょう。
そのような方は清い存在とはまだまだ程遠い鈍い方です。
今の世の中は、皆さんの想像以上に悲惨な大変な状態なので、
少々のパワーで吹き飛ばせるようなそんなレベルではないのです。
最も清い存在である神様達ですら、
大変な状況であるのに一人の肉体ある人間が、
そのようなパワーを持てることは無く、
持ちたいという欲の表れからの、誤った意見です。
色々な能力者と言われる方々を見て来ましたが、私の知る限り、
人間の肉体を維持しながら悪い存在を祓える最も強い力(清い力)を、
お持ちなのは、〇氏です。
皆さんもご自身をお清めになり、世の中の酷さを体感し、
全てのものにとって良い素晴らしい世の中に、
力合わせ変えて行きましょう!!