成仏することの大切さ
知人が亡くなった時に感じ、理解したことをお伝えします。
その方は病気でお亡くなりになられたのですが、まだ生きておられるときに共通の知人から入院されていると聞きましたので、その方を感じてみました。
当時、その方が亡くなる前の苦しみは感じましたが、私が出逢ったときとは違ってその方から醜い欲望はそんなには感じませんでした。
体が弱ったことによって欲が叶えられないことを実感して、人は亡くなる前にやっと欲望が減るのだと思ったことを今も鮮明に覚えています。
お亡くなりになられてから一ヶ月後にその後のことも気になったので、その方を感じてみると、清まっていない(成仏しておられない)ことは勿論の事、日増しに欲望の塊になってる姿を拝見しました。
肉体が有る時にはまだ欲求を満たすことは出来ますが、肉体が無くなれば肉体的な欲求を満たすことができないために”欲の塊”になってしまい、苦しみ、彷徨っておられるのだなと思いました。
肉体が無いので「自分に誰も気づいてくれない」「自分の気持ちを誰もわかってくれない」「自分の思いだけが一方通行で満たされない」そんな状態です。
何か食べたい、お酒が飲みたいなど、肉体が無いのに肉体がある時と同じように欲望は消えません。
「人は死んだら楽になる」「死んだら今の苦しみから逃れることが出来る」と思っておられる方は多いと思うのですが、そんなことはありません。
生きている時の状態と死んだ時の状態は肉体がないだけで変わりません。だから、人は死後すぐに更に清まること(成仏)が出来ないのです。
仏教でいうところの成仏とは欲を減らし、空間や生きている人やたくさんの命に対して穢れを与えず、迷惑をかけない状態になることです。
亡くなった知人は生前に社会的地位もあり、周囲の人たちから敬われておられた方でしたが、内に秘めた欲を持っておられましたので死後の現状は本当に酷い有様でした。
宗教に関係なく、人は死んでからも清まることが正しい歩みなのですが、世の中にはこの様な方が沢山おられます。
死を迎えた後、この様な状態になると亡くなってしまった自分も苦しいし、この様な思いを持ち続ける存在に傍でウロウロされている方も苦しいですよね。
亡くなった方が清まらずに(成仏せすに)身内のそばをウロウロとされていることはよくあることです。亡くなった方の影響で体調を崩したり、精神的に不安定になることがたびたび起こります。
皆様におかれましては「人は何のために生きているのか?」「どんな命の使い方をすることが正しい方向(生き方)なのか?」じっくり考えていただければと思います。
生きている間に自分の欲望を整理して清まっておきましょう。そして、亡くなったら自分が亡くなった事を受け入れ、清まる方向に自分が進むのだという事を理解して実行してください。
後に続く命の為の力になれる存在になりましょう。