体感
皆様「体感」とは何か?繊細に感じるとはどういう感覚なのか?お分かりでしょうか?
目だけでは見えないものを捉え感じるとはどういうことなのか?
今日は「体感」とその「質」について、少しご説明させて頂きたいと思います。
「体感」とは、感受性が豊かで心が動くことではありません。驚きや、楽しさ、温かさなど心が動いて抑揚を持つことは「体感」ではなく「実感」です。
世間では「実感」を「体感」だと思っている人もたくさんお見受けします。
私の言う真の「体感」とは、寧ろ「実感」の真逆です。
では「体感」とはどういうことなのか?真の「体感」とは、どういったものなのか?
詳しく説明を致します。
「体感」とは読んで字の如く「体で感じること」なのですが、鈍い現代人は日常生活において五感から得ている情報が非常に少ないと思います。
肉体が受ける様々な刺激を繊細に感じるためには、まず何があろうと動じない心、鎮まりきった冷静沈着な「静」。その状態がスタート地点です。
心を鎮めて静かな状態から更に集中力を高めて体と心の両方で「体感」するのです。
全身で物事を捉え、全身で情報を得るのです。
そして「体感」にも「質」があります。
それは「清さ」のレベルによって違います。
まだ繊細に感じることが出来ていない未熟な位置からの「体感」であれば、気持ちの悪い低次な存在だけをキャッチしたりします。
自分自身よりも清さのレベルが高い存在は、正確に感じる事も見える事も無いという事です。
近年は一昔前とは違い沢山の方が見えるとか感じるとおっしゃられるようになりました。余りにも目では見えない世界の事とご自身の能力への理解が乏し過ぎると思います。
全体を正確に理解しないでパワーを感じるだとか、見えていると勘違いする方々もおられます。
また、自分では気づいていないだけで統合失調症やPTSDによる幻覚や幻聴を神と繋がったと勘違いする人もおられますので注意が必要です。
心身が更に清まると空間から全身で受ける情報量が増大します。そして、その情報を整理できるようになります。
膨大な情報を全身で受け続けても心身共に安定させた状態を維持出来るようになると、本当に清らかな存在である神様を見える位置に近づけると言うことです。
「〜したい、なりたい」と自分が好きなことを頑張って努力し、それを継続して研究を重ね、高度な技術に更に磨きをかけることは学者やアスリートでも可能です。
しかしながら、この体感力を向上させる一連の繊細な作業は「〜したい、なりたい」という個人的な願望を原動力としている場合は、習得することは不可能です。
なぜなら、個人的な望みすらない清らかさが必要だからです。
皆様「体感」とその「質」について、少しは理解を深めて頂けましたでしょうか?
私は感受性がある事をダメだと言っているのではありません。静寂を得て、集中力を高め、そこから広大な空間や体の内側を繊細に感じます。
そして、全身で受ける情報が更に増えると真の感受性も広がりとして備わるのです。
皆様、心と体の動きを鎮める訓練をして清い心身を創りましょう。
それがこの地球を綺麗な場所にする第一歩です。