2006.03.27

神社仏閣巡り

そうなのです。私の知っている神社事情は凄まじい世界なのです。
人間世界事情と同じように。
悲しいですよね。

この現実を受け入れる事に少し時間がかかりました。
やはり、普通私達が描いている神様像ってあると思うのです。
私もみなさんと同じようにありました。
みなさんが神様の世界が、はっきりわかっている訳ではないとは思いますが、イメージとして美しい世界であったり、愛の世界であったり、平和な世界であったりしますよね。
私も、そうでした。

確かにそういう世界も一部にはあるのです。勿論、神様は素晴らしい存在なのですよ。
いくら酷い人間界の中にも、真なるもの、善きこと、美しいものがあるように。
しかし、その荒れている神の世界を知ったときには、やはり何とも言えないショックがありました。
それと同時に、神の世界と人間界がリンクしている事もよくわかりました。
人間界に歴史があるように、神さまの世界にも歴史があることも。
そして、その歴史は誰も教えてはくれないのです。
神さまの世界を教えてくれる何かがあれば、教科書みたいなものがあれば、どれだけいいだろうと思いました。
神さまの事を語っているのは宗教団体ぐらいで(宗教団体を否定しているのではありませんが)、一般的には誰でもわかる神の世界の常識みたいなものがあまりにも無さすぎて、
しかたなく自分で神さまにお会いさせて頂き、いろいろな所に足を運び、見聞きして体験を通して知っていくしか方法がありませんでした。
それが、まるでパズルのように答えがわかっていくのが面白い所なのですが。
つまり、一つの事がわかると、どこかでほかの事と繋がって来たり、それらが繋がると、今度は、又全然違う意味が見えてきたりと、本当にゲームのように思える時があります。
頭を柔らかくして、体験して行くしか私には方法はありませんでした。
そして、私は今の地点でのいろいろな答えを見つけ、また更に新しい発見をし続けております。
これからもどんどんいろいろな事が見えてくるのだと思います。

そして、私にとっては、神さまは肉体のある存在なのです。
何故ならば肉体が見えるからです。
半零体、半肉体みたいのものでしょうか?
実際にはこの宇宙には肉体の無い(見えない)存在も沢山あると思います。
(この話を詳しくすると話がこんがらがってしまうので、機会があれば、、、と言うことにさせて頂きたいと思うのでありますが。)

肉体がある=限界ある生き物なのではないかなと思っています。
肉体という限りある物の私達は持ち主です。
人間は肉体を守らなければ生きては行けません。
肉体を正常に保つ事1つ見ても大変な仕事だと思います。
肉体に何かあると、いっぺんに不自由になりますよね。
だから、人間には肉体を守るという優秀な機能として、本能という物があり、お腹がすいてご飯を食べたり、眠たくなって寝たり、記憶を消したり、嫌なものを避けようとしたりするのだと思います。
嫌な事や苦しかった事をいつまでも覚えていると、そのストレスで病気になってしまいますよね。
一緒に居て、楽しい人と時間を過ごしたいと思うのも、楽しい事をしたいと思うのも、肉体からのメッセージなのではないかなと思います。

前にも少し触れましたが、感情というのは肉体にやどり、「嫌だなー」と思うのも「楽しい」と思うのも肉体からのメッセージなのだと思います。
その肉体のメッセージを聞く事って、人間にとってすごく大事な事なのではないかと思います。
だからといって「この人嫌な感じ」とか、「楽しくないな」と思ったとして、肉体のメッセージだから「嫌だから付き合わない」とか「楽しくないからやらない」と言うのではなくそれを感じる事は優秀な肉体が反応しての事なので素晴しい事なのですが、
「その嫌な感じ」の人と無理に付き合う必要はないのですが、常識的な範囲で距離を持ち、「嫌な感じ」と思わないような付き合い方のできるような知恵を身につけて行く事や、
本当に楽しくない事を無理にやる必要はないですが、やらないといけない状況や環境があるならば、とりあえずはそれでも楽しくやる方法を見つけだすか、
それでも嫌なら、やらないでいられる方法を模索する事も大事なのではないかなと思います。私も努力させて頂いております。

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