2006.06.10

神社仏閣巡り

そして、一番最初に読んで頂いた6月11日に続くのでありました。
いやー、ちょっと内容が濃かったでしょうか?

11月から新たに始まった神社巡り。

これは、私にとってはチャレンジでした。
というのは8~9年くらい前にも神社巡りをしていました。
しかし、感じる、見える、聞こえるという事は、普通の方より情報量が多いという事です。
そして、感じると言うのは、肉体が感じているのです。
そして、肉体が反応するのです。
私の見える、聞こえるも、実際にある目や耳で見聞きしているのではありません。
体全部でそれらを見、それらの声を聞いているのです。(この事をうまく説明出来ずいつも困るのですが。)
そして、この能力を洗練する事がまだ十分で無かった8~9年前頃に、見事にバランスを崩し、肉体が悲鳴をあげるかのように壊れてしまいました。
感じる量の方が多すぎて、肉体が着いて来れなかったのでしょう。

よく事故や病気などで生死を彷徨ったりした体験から、ある種の能力が開いてしまう事があったりするらしいのですが、私の場合はそうでは無く、能力が有るがゆえにそのバランスがとれなくなって体を壊してしまったようです。

能力と言っても、子供の頃はあるのが当たり前だったので、自分自身が人が感じていないものを、まさか自分だけが感じているなんて思いもしませんでした。

人が心で思っている事が突然自分の心の中に入り込んでくる、要するに人の気持ちを瞬間的に体験してしまうという今から思えばかなりの試練でした。

何故ならば、人の苦しみや悲しみを自分自身がリアルに感じてしまい、周りにいる人数分の苦悩を一挙に感じてしまう日々が続きました。
そうなると、苦しいのは当然のこと、自分が誰なのか?今の本当の自分の気持ちがわからなくなって来るからです。
そして、感じ続けた結果いつも虚弱体質の様になっていました。
それでも、自分は特殊?だとは全然思わなかったのです。

子供の頃はその程度でしたが、それがだんだんと感じる範囲が広がり、人以外の存在(神様やご先祖さまやその他のおどろおどろしい存在など)までも増えて行きました。
そして、とうとうバランスのとりようが無くなったのでしょう。

症状としては、食べ物が喉を通らない、極度な栄養失調、激しい動悸や息苦しさ、慢性的な吐き気、めまい、ふらつき、倦怠感、脱力感、慢性的な疲労感、頭痛、慢性的な体の痛み、不眠。
最悪でした。

症状があまりのもひどく、入退院を繰り返した時もありましたが、原因不明の機能障害として扱われ、治療法がある訳でもないので、ほとんどが自宅療養でしたが、その時の事を思い出すのも嫌なくらい、辛い辛い地獄の闘病生活でした。

今、私が生きているのが奇跡なくらいに実に危ない状態でした。
この時に、一度とんでもない体験をしてしまいました。
あの世の入り口まで行ってしまったのです。
いやー、びっくりしましたね。
この頃のある日、朝起きると、全く起き上がれなくなりました。
全くですよ。焦りましたねー。
それから、2週間昏睡状態になってしまったのです。
意識が朦朧とした中、肉体から私の魂というのか、意識というのでしょうか?
抜け出てしまいました。
一瞬の間に過去の体験を映像で全て見ました。
その瞬間、上昇する渦の中を私がぐるぐると回りながら上がって行きました。
この時に「私、死ぬんだな。」と思いました。
それと、「死ぬって簡単だな。」と思いました。

その時に涙がこぼれました。
死ぬ事が怖かったのではありません。
死ぬ事が嫌だった訳でもなく、私が死んだ後に残された人の心を思うと、辛くて辛くて涙が止まりませんでした。
そして、あの世の入り口が見えました。
日が射していました。綺麗でした。
「あそこをくぐると私死ぬんだ、これでやっと楽になるのかな?」と思いました。
そして、そこをくぐろうとした瞬間、「死ぬなー!!」と大声。
男性の太い声でした。

その声に驚いた私は「そうだ!死ぬ訳にはいかなかったんだ。」と思い出し、またその瞬間、肉体に私(魂と言うのか?意識と言うのか?わかりませんが)がドスンと振動と共に戻ったのです。
そして、意識を取り戻した私は、再度「えらいこっちゃ、死んだらあかん、死んだらあかんやん。」と自分に言い聞かせたのでありました。
そして、何とか生き返りはしましたが、、、。

このような体験をしてしまった私はやはり、自分の能力を使う事がすごく怖くなってしまいました。
バランスをとる事が難しいからです。
感じ、見聞きしたものの処理能力が乏しいのです。
この能力の使い方も誰も教えてはくれません。
自力で能力を洗練させる必要性も感じていました。
神さま事情もわかっていました。
求められている事もわかっていました。
動かなくてはならない事もわかっていました。
動けば動いただけ結果が出るのもわかっていました。

しかし、それでも怖かったのです。

今も恐怖心はあります。
瞬間的に死の恐怖が蘇る事も度々あります。
しかし、やっとお会い出来たO氏の思いを強く感じる事と、
暖かく見守って下さる神様方の思いを感じる事と、
今までお世話になった方々への感謝の気持ちと、
少しでも何かお役に立てる事があるのではという思いと、
私の息子を含め、未来を背負う子供達への思いが私を動かしたのです。

それは、私が更に「進化する事でもある」という事です。

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