体感
清まること
皆様「体感」とは何か?
どういう感覚なのか?
お分かりでしょうか?
今日は「体感」に付いてを、ご説明させて頂こうと思います。
私の言う「体感」とは、感受性が豊かで心が動くことではありません。
驚きや、楽しみ、温かみなどを理解し心が動き、抑揚を持つことが「体感」ではないのです。
私の言う真の「体感」とは寧ろその真逆です。
では「体感」とはどういうことなのか?
真の「体感」とは、どういう方向なのか?
詳しく説明を致します。
まずは、何があろうと動じない心、鎮まり切った冷静沈着な「静」。
まずその状態がスタート地点です。
心を鎮め、静かな状態から更に集中し、身体と心の両方で「体感」するのです。
全身で物事を捉え、全身で情報を得るのです。
感受性がある事がダメだと言っているのではありません。
但し、静寂を得て、そこから更に情報を増やす中で、感受性も広がりとして備わるのです。
「体感」にも、「質」があります。
それは、「清さ」のレベルによって違います。
まだ未熟な位置からの「体感」であれば、気持ちの悪い低次な存在だけをキャッチしたりします。
つまり、自分自身よりも清さのレベルが上の存在は、正確に感じる事も見える事も無いという事です。
沢山の方が見えるとか感じるとおっしゃいますが、余りにも目に見えない世界の事とご自身の能力の理解が乏し過ぎるのです。
全体を正確に理解しないで、パワーを感じるだとか、見えると勘違いする方々も出て来るのですね。
更に清まり、増大すると同時に情報量も整理でき、心身共に安定させた状態を維持出来るようになると、神様を見える位置に近づけると言うことです。
皆様、「体感」について少しはお分かり頂けましたでしょうか?
訓練をして、清い心身を創りましょう。
それがこの地球を正す第一歩です。