2006.06.25

神社仏閣巡り

次に行ったのが、東京都にあります×××××です。

御祭神は人間です。
神社なのか、お墓なのかわからない状態なのではないかなと思いました。

何故この様な疑問を持ったのかと言いますと、人間であった方がご祭神としてお祭りされている神社が、かなり重症で酷く荒れている事を知ったからです。
考えて見てください。
もしあなたが亡くなり、その後あなたを神とし祀られ神社が作られたとしたら?
私なら、人間の私がいきなり神さまと言われましても、居心地も悪くきっとその神社に居る事はないでしょう。仮に居たとするならば、それは神社では無くお墓と言うことになりますよね。人間は神様ではありませんので・・・。
それに、人間はまず成仏しなければならないのだと思います。
まずは仏になるのではないでしょうか?
いきなり神になれと言われても、人間と神とでは距離がありすぎて、そう簡単にはなれないのではないかなと思います。
人間の無知さかげんが、このような事態を作り出しているとしか私には思えないのであります。

私がこの様に思ってしまうのは、神社に何をお祭りするのも、それは皆様の自由であり世界中には色々な宗教も御座いますので、何が正しい、何が間違っていると限定するつもりは全く御座いません。ただ私が感じ見えている世界では、このような神社はおかしいと感じてしまうのです。

そしてこの日は、神社で骨董市をやっていました。
境内中、重々しい空気が流れ、頭痛がする位です。
やはり古い物が沢山置いてあったので、仕方のない事なのかもしれないなと思っておりました。
物には「思い」というものがどうしても残ってしまいます。
それは良いとか悪いとかと言う事ではなく「思いの力」なのだと思います。
O氏が私と一緒に行動し体験して下さり、一番よく口にされる様になった事が、この事なのではないかなと思います。
「思いの力の強さ」を感じられたようです。
「夢は諦めるな」とか「思い続ければ叶う」とか言いますが、本当に思いの持っている力は強烈で、思いは残り、続き、現実を呼ぶのだと思います。

私は子供の頃から知りたい事だらけでした。
誰も興味を持たないような事を、知りたくて知りたくて仕方なかったのです。
「本当のことを知りたい」「この世の真実を知りたい」と、人間離れをした思いを強く思い続けていたら、人間離れした体験を次々し神の世界を知ることになったのです。

物にも思いが残ります。
その物を作った時の思いや、それを使っていた時の思いなどがその物に入り残ります。

御料理などもそうですよね。
お母さんや奥さんの手作りの物が美味しいと感じるのは、そこに思い(ここでは愛情という思いでしょうか?)が入っているからなのだと思います。
私は御料理を頂くと、その料理の中に入っている思いが何なのかがわかってしまうので、外食は苦手です。
「面倒だ」という気持ちで作ったもの。
料理をする事が「楽しい」と思い作ったもの。
「美味しいものを食べさせたい」という思いで作ったもの。
これを食べて「元気になって貰いたい」と思い作ったもの。
「お金お金」と思い作ったもの。
「このあほ!!」という思いで作ったもの。
「全く思いがなく」事務的に作ったもの。

本当に色々な思いが、びっくりする程にきちんと料理に残っています。
辛いとか薄いとか、味付け以前の味の違いがあるのですよね。
やっぱり、愛情いっぱいの料理を食べるとそれだけで元気になる気がしますよね。

愛情一杯が一番良いのですが、嫌な思いが入っている位なら、事務的に作ったものの方が食べやすかったりするのです。

こんな風に何らかの思いが必ず残ってしまいます。
古い物となると、手作りの物が多いと言うこともあったり、生活が貧しい時期もあり思いの重たさも感じてしまいます。

そんな思いが、この神社境内に広がっているのかなと思いながら、拝殿の前に行って見ましたが、この神社とんでもない所でありました。

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