○氏より
過去の文明において、この地球と言う空間位置で、真実の進化の極みを感じ求めたものは存在します。
「体感」と「認知」の両側面からの情報を処理し捉えることが出来るものは、「感覚」と「物質」を融合し「解(かい)」を出せるのです。
それを肉体を持つ位置から実践し更にリアルに体感し、具体的に「今」に生かそうとしながら研磨して、更なる「理」を創る位置にいるもの。
私が幼少より「有る」と思い描いていた存在位置です。
全てを清められる極み。
清いものを守ることのできる極み。
(全てを祓い消滅させ、裁ち斬る極み。)
極みとは中心です。
それは、片方が両方とも言える位置です。
「人類」は「神」を感じました。
そして、神を目指し肉体を持ちながら進化を求めました。
しかし、未熟で未完成な人間は、権力者や少し進化した者を「神に近い存在」として、若しくは「神」として崇めたことをしたのです。
人類の過ちです。
「願望」「欲望」が狂いを生むのです。
人間は未熟な「質」の知識から宗教を創ったのです。
それは、神の方向では無く死人を神と崇めることを始めました。
憑いているものが未熟な存在であると、やはり憑いている存在の欲に影響され、(未熟な存在位置は、神からは程遠く、成仏することがまずは必要なのです)やたらと死後の世界を語ります。
神と混同し、乱雑に真実の位置を歪めるようになったのです。
人類は「体感」では無く、知識による継承(物質的な広がり)しか出来なかったのです。
それは「欲」が「利権」を生み、固定の倫理を創り低次な質に落ちました。
少しの狂いが過ちを起こし、争いを生むのです。
それが人間の位置です。
皆が地球を朝夕関係無く、同時に感じ、清い心と、揺るぎ無い体感を得れば(進化すれば)全ては解決します。
人間が一挙に清い方向へ転じることが出来れば良いのです。
「体感」から真実に準じた「価値観」を生み出すのです。
人類が共通の価値観(地球を感じ、地球を守るという価値観)を持つことです。
そうすれば、地球の位置は宇宙において清い位置になるのです。
そして、その地球の清い位置が更に中心になれば、宇宙の時空間全てが清い極みに転じる力を助長します。
新たな進化した「理」の位置を生むのです。
清まれば「設定」を使いこなせるようになるのです。
清い極みは、全てが中心という位置を体感し「静」「動」「無」「有」の位置を使いこなせるのです。
(悪の極みは自身で終わりを向かえることが出来ません。
悪は満足が無いからゆらぐのです。)
つまり「静」で居続けられません。
(正の極みは自身で終わりを向かえることが出来ます。
正は満足があるからゆらぎません。)
安定し「静」で居続けられることもできるのです。
正義が真実の進化であるのは、これが「解」であるからです。
清い中心から「設定」をすると、全てが清い方向へ移動するのです。
それは、全てを清く正しい真実の進化の方向へ誘えることを、既に知っているから出来るのです。
悪は正を求め、対極に依存し頼る位置に過ぎず、新たな「理」を生める位置では無いのです。
「知識」からでは必ず過ちを犯します。
人間の歩むべき方向は、肉体を維持し「体感」から上記を実践することです。
人間は未熟な存在です。
謙虚に実践をするのです。