質疑応答4
こんばんは!いくつかお聞きしたいことがありますが、今日はひとつ!大川さんのように神様のお姿を見たり声を聞いたりできない私達のような存在でも、神様とのご縁というのは実際にあるものなのでしょうか?私には何度か「呼んでいただけたのかな」、「ご縁をいただけたのね」と思えるような事があります。もちろん、逆の出来事もありますが…。
最近では、大川さんの著書を読ませていただき、年末に京春日の大原野神社へお参りすることができました。駐車場まで吹雪いていたのに、鳥居の前に立った途端雪は止み、晴れ間が。本殿へのお参りを終えたらまた吹雪いてきました。この時、ああ、大川さんのお陰で、こちらの神様とのご縁を頂けた(きっと、大川さん特典!)と(勝手ですが)感じました。
もしもそんな出来事が偶然でないこともあるとしたら、私達はどう感じ分ければいいのでしょうか。
答え:私の著書を読んでいただき、ありがとうございます。
京都市西京区に鎮座します「大原野神社」は、天美豆玉照比売命(あめのみづたまてるひめのみこと)と呼ばれている女性のお姿をされた神さまとお会いした神社です。
とてもよい神社に参拝されましたね。
さて、ご質問をいただきました「神さまとのご縁」につきまして、お答えいたします。
まず、神さまはとても清い存在です。
神さまと直接的に繋がりを持つためには、心身ともに清い存在でなければなりません。
古くは、巫女、巫師、祭司など、神事を司る特別な人を介して、一般の人たちはご神託というものを聞いていたり、時には国政にも大きな影響を与えていた時代もありました。
現在は地球の空間だけではなく、人という生き物も穢れがかなり進行していますので、近代社会において普通の生活を送っていては、神さまたちと直接的に繋がりを持つことは残念ながら不可能です。
但し、神さまと対話すること、清まることだけに一生を捧げて生きてきた私を通じて、みなさんも神さまと繋がりを持つことはできますので、私や大橋さんと一緒に神社参拝をする機会があれば、よきご縁をお持ちいただけます。(こにーさんの仰られる大川知乃特典です〈笑〉)
また、私の著書を読んでいただいている方は、少なからず正しい神社参拝の心得を知ったうえで、全国各地の神社に参拝してくださる方々が圧倒的に多いと存じますので、私を通じて神さまのご神気を感じるチャンスはアップしておられると存じます。
本題に入りますが、体感力のない人でも感じ分けることができるご神気の見分け方は、ご自身以外に参拝者が誰もいない神社の拝殿前で静かに神さまに手を合わせてお願いすることです。
その際に、自然が動き、清らかな感覚が増したように感じていただければ、ご神気の可能性が高く、神さまとのご縁を体感していただきやすいかと存じます。
境内に大勢の人がおられる際に「風が吹いた」「雨がやんだ」「日が出てきた」などの現象を神さまの力だと思い込むことや、そう思いたい人を多くお見受けしますが、それはたまたま、偶然というものです。
なぜなら、たくさの参拝者が参進する神社境内では、人体から発せられる穢れた気により空間の汚れが増しますので、まず清らかな神さまがお姿を表してくださることは非常に困難です。
人という生き物を中心に都合よく考えてはいけません。
わざわざ清らかな神さまが、人体から穢れた気を放っている人に近づくことはあり得ません。
そのような人に近づくのは穢れた存在だけです。
話を戻しますが、そんな中でもまだ可能性があるとすれば、私が著書やブログでお伝えしました神さまがおられるよい状態の神社にご参拝していただき、ひとりだけで拝殿前に立ち、神さまに対して静かにご挨拶することです。
理由は、ひとりの人という生き物が人体から穢れた気を空間に放っていても、神社境内を祓い清める力が圧倒的な場合は、神さまが表れてくださる可能性は高いという訳です。
今回は特別にお教えしましたが、本来あるべき手順というものを覚えておいていただければと存じます。
人の本来あるべき神さまを感じる姿とは、清い神さまと繋がり、その繋がりを正確に、繊細に人体で体感して理解することです。
そのようになるためには、人体の狂いを整え、徹底的に身体を清め、欲を無くし、心を鎮めなければいけません。
大切なことをお伝えします。
「ご自身が清まると清い神さまたちに近くなる。だから、神さまたちとのご縁も近くなる。」
「感じる」とは、目に見えたわかりやすい現象や変化だけではなく、もっともっと繊細な感覚もございます。
普通の人なら、一生を通じても身につかないほど高度な能力を体得する努力を続け、全身の感覚を研ぎ澄ませ、空間の情報を体感する訳です。
頭で考えるのではなく、感情が動くのではなく、身体が反応し、その変化を感じるのです。
身体におこる反応の変化を繊細に感じ取り、そこからさらに心と身体の動きを鎮め、体感から得る情報のことも言葉にすると「感じる」といいます。
本当に”感じ分ける”とは、感じ分けられるだけの繊細な体感力がまずは必要なのです。
そのことを理解したうえで、まずは誰にでもできる体感力を向上させる訓練をすることをご自身の生活習慣に取り入れていただければと存じます。
ご理解いただけましたら幸いです。