2006.06.26
そして、もう一度は拝殿まで戻りました。
拝殿の中にいる狐達を、ボール状にひとまとめにし、A氏の掌の上に置きました。
これで、拝殿が空っぽになりました。
そして、O氏の右肩より神さまを拝殿の中にお戻しすることが出来ました。
O氏は、もしかして神さまが若返られるのではないかと山を降りる道々、おっしゃっていました。
やはり、拝殿内に戻られた神さまは若返られ、70代位のおじいさんでしたが、40代位になられました。
背が高く、体格が良く面長で、目がきりっとしている品のある神さまでした。
顔はどことなくA氏に似ているような感じが致しました。
服装も変わられ、水戸黄門様のような格好をされていたのが、ベージュ色のズドンとした、丈の長いお召し物に変わられました。
そして、「ありがとうございます。」とおっしゃいました。
私達は其々にご挨拶をさせて頂きました。
「この狐達を山に連れて行けば良いですか?」とお聞きすると
「そんな事はしなくても良いです。私にお任せください。」とおっしゃいました。
狐単独では力を持っていないようでした。
ボス次第で、自分の我欲でしか動かないピグモンから、神さまがボスとしてお働きになると、狐達の動きが全て変わってしまうとのことでした。
そして、A氏が持っている狐達をO氏に渡し、O氏から神さまに手渡して頂きました。
そして「くれぐれも宜しくお願いします。」と神さまにお伝えし、私達はこの神社を後にする事に致しました。
夕食を済ませ、新幹線に乗り東京には午後11時ぐらいに到着致しました。
そして、自宅に向かいマンション周辺の狐達はどうなっているかな?と心配しながら0時過ぎ位に到着致しました。
良かった。
全て姿を消していました。
長い長い1日でした。
私は疲労しきっていましたが、O氏はまだまだ元気なご様子でした。
どんな体力なのでしょうね。
この時私は、本当に体を鍛えようと思いました。
しかし、この日の出来事はこの人間界と同じで、上に立つ者の重要性を確認致しました。
ボスが狂うと全てが狂ってしまう事。
恐ろしい事です。
上に立つ方の、責任の重さを感じました。
これを書いている日(ブログでは無く、実際にこの文面を作成している日)の前日、(2006年9月5日)神さまからあるお願いをされました。
それは「人間の行く方向を指し示したい。共感してくださるなら協力をしてほしい」との事でした。
神さまから、この様な改まったお願いをされる事は初めての事です。
人間は進化した生き物です。
物を食し、排出し、睡眠を取り、基本的には動物と変わりません。
その中で、衣類を身に着け、頭を使い、学び、思考し、物を創り出し、この地球で一番力を持ち、この様な近代社会を作り出し、その上、人を愛そうとしたり、幸せという物に向かって努力している。
この事を私はいつも意識しながら、人の凄さと可能性を感じています。
そして、人はどんどん進化の方向に向かうべき生き物です。
しかし、今の人間の「質」で進めば進む程(今の人類の位置とでも言いましょうか)迷いも出て来るのではないかと思っています。
この社会が「質」の低い人間を生み、また人間が「質」の低い社会を創ることにより、狂いが生じてしまったり、情報だけが増え続け、自分が何処に向かえば良いのかが分からなくなっている人達も、沢山いらっしゃるのではないかなと思います。
これも、人間が進化していく段階での自然の流れだとは思います。
では「人間が進化する」という意味は何なのでしょうか?
大きな意味で「人間が進化する」=「神に近づく事」なのではないかなと思います。
その大きな意味がすっぽり抜けていて、目の前の目標は達成出来ても、そこには何とも言えない不安感や、空虚さが残り、安心や満足感が得られないのではないかなと思います。
昔、古代の日本においては、神様のお告げに従って国を治めていた時代がありました。
この様に、人間界での神さまの位置付けが時代によっても変化して行きます。
今になって神様が、私にこのような事をおっしゃったのも、タイミングなのだと思っております。
国を治めるような、そんな大げさな事ではありませんが、神様の御心の中に、これから進化して行く人々へ、生きる為のヒントが沢山あるのではないかと思いながら、このブログを書いているつもりです。
これからも、神さまとの遣り取りの中から、また新しい発見がある筈です。
そのような発見を皆様とご一緒に、共有出来たらなと思っています。