日光東照宮

神社巡り

『日光東照宮』に初めてお伺いしました。

数年前に大橋さんと『日光二荒山神社』に初めて参拝した際に、参道を歩み『日光東照宮』前まで行ったのですが、余りにもの気の悪さに入社するチケット売り場前から引き返しました。

数年ぶりにこの場所にお伺いし、チケット売り場前にて目を閉じると当時の情景が鮮明に浮かび上がってきました。

今日までお伺いした神社で、お金を払わないと拝殿前にて参拝することができない場所は、奈良県に鎮座します『春日大社』と『日光東照宮』だと記憶しております。

この場所でお祀りされ崇められているのは、清い神さまではなく、時の権力者である徳川家康公です。

神さまではなく人が御祭神として祀られている神社は全国各地にもありますが、この際、はっきりと申し上げておきますが、このような場所には清い神さまは、まずおられません。

過去の先人たちが、それぞれの時代に欲を持ち、有力な武士をお祀りしたり、呪いを鎮魂させる為に神社という名の建物を建設したり、またそのような場所で戦勝祈願をするなど、清き神さまが中心になる空間ではなく、人が中心になる誤った空間を鈍い体感の人たちが造設してきたのです。

江戸城の真北に造られた『日光東照宮』は、まさにそれら歴史の過ちを象徴した場所なのです。

前回お伺いした際には、敢えて放置しました。

何故なら、世界中におられる自称スピリチュアリストさんたちのなかで、どなたか正しい体感のできる人がいるのか否か、確認したかったからです。

そして、参拝された方々のなかに正しい体感のできる人が少しでもおられるのか、確かめたかったからでした。

この数年の間に、全国におられます幾人かの方々からは「日光東照宮に参拝して気分が悪くなった」とのご連絡を頂きました。

しかしながら、著名なスピリチュアリストさん達のなかで、日光東照宮について正しい見解を述べておられる方をお見受けすることは私の知るかぎりではありませんでした。

私が以前のブログ記事で日光東照宮についてお書きした後ではなく、それよりも以前に、どなたか、正しい見解を述べているお方がおられることを御存知な方は、是非ご連絡下さい。

今回は、ご同行者の皆さんとご一緒に日光東照宮の境内にお立ち寄りしました。

敷地内に入場しますと、敷地内を埋め尽くす沢山の人たちがおられました。

このなかに、正しい体感の持ち主がどれだけおられることやら、、、。

大橋さんと顔を見合わせましたが、

大橋さん『身体ガチガチやろ!肉体が悲鳴を上げる最悪な場所やな!身体がもたんやろうから、私が先に行って、すべての状態を確認して来て、気持ち悪い状態を正すわ!』

私『キツイわ。よろしくお願いします。』

清さの欠片もない敷地内は、神社参りならぬ、完全なお墓参り、、、。

敷地内には、徳川家康公の家臣たちが祀られた建物や、徳川家康公が御祭神として崇められている本殿や拝殿、さらに階段を登ると徳川家康公のお墓があります。

私は余りにもの気の悪さに身体も辛く、わざわざ気持ち悪い空間を見に行く必要もなく、拝殿内やお墓に向かう階段も登らずに大橋さんの帰りを待ちました。

同行された皆さんも、敷地内が清い神社の空間からは程遠い場所であることを身体の感覚でお分かりなられ、口々に『酷い場所だ』『息が真面にできない』『しんどいです』と、嘆いておられました。

大橋さんが本殿や拝殿、お墓を拝見してくださり、皆さんがこの場所から退散されるなか、この空間を私の代わりに祓い清めてくださいました。

気持ち悪い存在がいなくなった分、かなりマシな空間になりましたが、清い神さまがおられる場所ではありません。

神さまが本当におられる『日光二荒山神社』よりも、神さまがおられない『日光東照宮』に多数の方々が参拝されている姿が、この社会の誤りをそのまま反映している光景なのだと嘆かわしく思います。

だからこそ、このブログで私や大橋さんのみならず、全国からご同行された幾人かの方々が身体の感覚により空間の良し悪しを認識しているのだと、そのような人たちがいるのだと敢えてお伝えしておきます。

この国の誤った歴史認識を身体の感覚による体感にて、空間の異常を感じ、ご理解なされる人が増えることを願ってやみません。

この場所での成果は、心身共に清く優秀な次世代を担う私の息子と、もう一人の大橋さんの弟子である二人の子供たちが、酷い空間のなか、大橋さんに最後まで同行したことです。

酷い空間のなか、清い身体を維持しながら、『気持ち悪い』『苦しい』と感じ、言いながらも、長い階段を上り、お墓までも目の当たりにしてきました。

よく頑張りました。

つづく

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