質疑応答1

質疑応答

 

喪中はやはり神社などに行かないほうがいいのでしょうか?行ってしまった、その年の前半は、確かに苦労が絶えなかったな・・・と。ただ、その前年のあたりから苦労が絶えなかったので、あまり関係ないのか・・・?何とも分かりません・・・。

答え:はい。喪中のときは、神社に参拝されない方がよいと存じます。理由は、清い神様と神様たちをお護りする境内の空間を穢さないようにするためです。

一般的に喪中の期間と言っても、四十九日や一年間など故人との関係性や地域の風習、宗教の仕来りなどにより違いがあります。

ご質問をくださった牧田さん以外の方も同じような疑問を持たれている方も多いかと存じますので、今回は「喪中」の本意について私の見解を簡単にご説明しておきます。
まず「喪中」の期間は、喪に服すというように「死を悼み、身を慎むこと」が大切です。
なぜでしょうか?
その答えは、亡くなった方が不要な想いを遺すことなく清まること(仏教用語では成仏といいます)が大事だからです。
お亡くなりになられた方も生前は汚れやすい肉体がありました。
そして、肉体の汚れだけではなく、人生の中で不要な穢れた想いを持ったまま亡くなられる方が圧倒的に多いのです。
また、その親族の方(生きている人)も社会生活のなかで汚れていて身も心も清浄な方はなかなかおられません。
住んでおられる家のなかや、その空間にあるもの、食するものなども多かれ少なかれ汚れています。
故人に関係していた人やものが汚れた状態では、亡くなられた方を祓い清めることは難しく、なかなか成仏(生きている身内に迷惑をかけない一定の状態まで清まること)することはできません。
私はこれまでに数えきれないほどの方々を祓い清めて成仏させていただきましたが、お亡くなりになられて直ぐにすんなり成仏される方を殆んど見たことがありません。
その主たる要因は、本人が清まっていないこと(清まる意味すらしらない)、親族が清まっていないこと、ご先祖たちが未成仏な状態であること、家のなかに不要なものがたくさんあること、地球の空間が清い力を年を重ねるごとに失っていることです。
大切なことは、生きているお身内が心を鎮め、身体を清め、家や故人のものを整理整頓(不要なものは処分する)して(気持ちの整理整頓も含む)、空間をより清浄な状態にすることです。なぜ喪中の期間に神社に参拝しない方がよいかと申しますと、それは参拝する人にとってよくないということが主ではなく、参拝者に未成仏な故人が憑いた状態で境内に立ち入ることや、憑いていなくとも穢れを纏った身体で境内に立ち入ることを避けるために慎むべきなのです。

みなさんが私のように肉眼では見えない存在を見ることができたり、目では見えない「氣」の善し悪しを正確に体感することができれば、私の言っていることを「その通り、その通り!」と頷いていただけることでしょう。

それらを体感できない人でも少なからず、上記の説明で「なるほどね」と思っていただけるのではないでしょうか、、、。

大変嘆かわしいことですが、人が境内に立ち入ることにより、汚れが増している神社をたくさんお見受けいたします。

清い神様を穢さない、正しい体感ができる清い心と身体の持ち主であれば、身内を自ら祓い清めて成仏させることは勿論のこと、喪中の期間であっても神社に参拝することは問題ありません。

本物の「祭司」「神職」というものは、そのような心と身体の持ち主のことをいうのです。

ご理解いただければ幸いです。

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