2006.06.18
日本という国は至る所に神社があり、全国に八万とも十万とも言われています。
それだけ日本人は生活の中に神さまという存在が溶け込み、共に生きているのだと思います。
しかし、その事が当たり前になっていて、それすら気が付かないでいるのではないでしょうか?
実は神社という所は、神の世界からの影響を私達人間に想像以上に与えている所だと思います。
少しでも神社(神様の世界)が良くなって行けば、私達人間の世界も良くなっていくのではないかと言うのが、O氏と私の共通の思いであります。
そして、何か出来る事がある筈だと思っています。
この様な思いが有るからこそ、この日の様に頑張り過ぎてしまうのです。
そして帰宅後に、××神社で切った鬼と××××神社の死体達の魂を供養致しま
した。
人間もそうですが、成仏していない存在があまりにも多すぎます。
何故、こんな事になってしまったのでしょう?
私は昔からよく考えていました。
何故ならば、何処に行っても彷徨っている霊魂(敢えてこの様な言葉を使いますが)
多すぎるからです。
救いを求め、苦しんでいる存在が沢山います。
逆に私はその様な存在に常に苦しめられてきました。
救いを求めている存在は、助けてくれるかもしれない人をいつも探しています。
そして、そのような存在にとって、私は待っていた人の様です。
何故なら、誰も反応してくれていないのに、私は解りやすく反応するからです。
ここぞとばかりに救いを求めてきます。
電車に乗っていても、道を歩いていても、沢山の存在を感じ気分が悪くなる事も
頻繁にあります。
今でも苦手ですが、ある時期電車に乗れなくなってしまったくらいです。
大体が自分の子供や孫に憑きます。
憑くと言っても、その様な存在は私達の邪魔をする気は全く有りません。
逆に心配していたり、力になりたいと思っていたりします。
しかし、私達は目に見えない存在の影響をいつも受けているので、その様ないつも心配している重たい気持ちの人が現実に横にいるのと同じで、無意識にその思いに同調して、自分自身も心配性になったりしてしまいます。
恨みや悲しみを持っている自分の先祖が憑いていると、自分もやはりその思いに同調し、恨む気持ちや悲しみの感情が引っ張り出されてしまったりしてしまいます。
直接、目に見えない力で、不幸を巻き起こすような事はめったには無いのですが、
そのように影響され、暗く重たい気持ちでいると、同じ事が起こったとしても物事の捉え方が変わってしまったりする為、上手く行く事でも上手く行かなかったり、トラブルに巻き込まれてしまったりするのではないかなと思っています。
救いを求めている存在達を、何とかしたいという気持ちはあるのですが、個人単位での全ての存在と言う訳にも行かず、私一人の力では限界があります。
だから、空間(場)を良くする為にも神社を廻っているのですが・・・。