2006.06.04
そして、私達はご挨拶をさせて頂きました。
その時、神さまが「お願いがあります。」とおっしゃいました。
「何でしょう?」とお聞きすると、「鳥居を開けてください。」とおっしゃいました。「わかりました。」とお答えし、私とO氏で鳥居の所に行き鳥居の真ん中から両方にカーテンを開けるようにして、片方ずつ開けました。
「これで良いでしょうか?」とお聞きすると、「有難う御座いました。それで結構です。」とおっしゃいました。
鳥居には大体、結界がはってあります。
結界とは目に見えない気というのか、エネルギーと言うのかはわかりませんが、目に見えないバリアみたいなものなのですが。
結界がはってある理由は、私にははっきりとはわかりませんが、神社の環境を守る為であったり、神社の影響?(神さまの影響なのでしょうか?)をコントロールする為?なのでしょうか?いろいろな理由は考えられると思います。
私はいつも神社に参拝させて頂いた時には、行きは鳥居をくぐるのですが、帰りは鳥居をくぐりません。
何故ならば、鳥居をくぐるとゼロになる感じがいつもするのです。
日々生活をしていると、皆さんもそうだと思うのですが、いろいろな物を背負ってしまいますよね。
重たい自分自身の気持ちであったり、人の思いであったり、プレッシャーであたり、疲れであったり、無理はないとは思っていますが、、、大変な世の中なので。
神社によっては、鳥居が3つ位あるところがありますが、そのようにそれぞれが背負っている重たいものを、鳥居を一つずつくぐるたびに取れて行き清まっていく気がしていました。
拝殿に行き神さまにお会いする頃にはかなり清まった状態になっているのではないかと思います。
しかし、帰りに鳥居をくぐると折角神さまに頂いたお力が切れてしまう感じがしたのです。
それに気付いてからは鳥居をくぐらない事にしております。
せっかく神さまから頂いた良い物を置いて帰りたくはないですよね。
神さまが見えるとか、見えないとかそんな事は別にして、神社に行く事の効用には素晴らしいものがあるのではないかなと思います。(神社にもよりますが・・・)
この神社の鳥居を開ける事の意味は私にははっきりはわかりません。
しかし、結界ではなく、鳥居は扉の役目もあると思うので、目に見えない扉が閉まっていたのかもしれません。
それを、私達が開けさせて頂いたのでしょうか?
何かはわかりませんが神さまのお役に立てたことに喜びを感じました。
A氏は初めての事に何がなんだかわからないはずが、水場を一緒になって探して下さったり、「トイレはあっちにありますよ」とトイレの場所を教えて下さったりと、初めての事に動揺する事もなく、疑う事も無く淡々と作業を見守り、手助けして下さいました。
普通の感覚ではないですよね。
面白い方です。
そして、私達はこの神社を後に致しました。
この帰り、A氏は車の中で咳き込み始めました。
その後、帰り道という事もありましたが、A氏に体験してほしくて××神社に寄りました。
車を降りた地点でA氏は更に咳き込み、気持ちが悪いとおしゃっていました。
私が、8~9年前はそんな感じでした。
体が先に反応してしまって、咳き込んだり、気持ち悪くなったり、目眩がしたりと大変な時期がありました。
少し過敏に反応してしまっているのでしょうが、A氏の感覚は一般的ではないように感じました。
そして、拝殿の前に行き、「なにこれ?全然ちがうー重いー重いー。」とおっしゃりながら咳き込み、苦しそうにしておられ気の毒な位でした。
こんなわかりやすい反応をされる方も珍しいのではないでしょうか?
A氏とは、この後もいろいろな神社を一緒に回らせて頂く事になるのですが、こんなにわかりやすく、上がったり下がったりと反応を示す方だとは全く予想外でしたが、笑いも提供してくださる私にとってはたいへん有難い方です。
そして私達は帰宅致しましたが、この日、珍しくO氏もぐったりとお疲れになったみたいです。
それはそうでしょう。
私に見えるO氏の肉体は傷だらけでぼろぼろになっておられましたので。
しかし、次の日にはすっかり元気を取り戻されておられましたが。
流石です。