「もしもし、神様」の中で、「前世も転生もありません」と書かれています。もしそうだとすると、幼くして亡くなる人や不幸な人生を歩んだ人などは、たった一度の人生なのに何だか不公平な気がします。
よく、「何度も転生し、色んな人生を経験し修行を重ね、神様に近づいていく」というような話を聞きます。
何度も転生する中で、「今生は不幸な人生を経験する修行の場なんだ」という事なら自分を慰められるのですが・・・。
それと一度きりの人生ならば、未浄化・浄化を問わず「存在」と呼ばれる魂のようなものは、人間が誕生した昔から考えると膨大な数が「存在」しているのでしょうか?
考えると不思議です。
どうかお教え下さい。
答え:
はい。
真実を知る為には「体感」の訓練をして下さい。
本当に身体で感じることが出来れば、私の言っている「真実」がご理解頂けるでしょう。
ここでは折角ですので、頭で考えておられる方々のみでも少しは理解が深まるように「言葉」でお伝えしてみましょう。
まず、1世代の「人間」に着眼点をおき、その人生の長さ(寿命)によって公平や不公平という判断をすることが過ちです。
人間は肉体も含め、ご先祖様からの情報を受けているのです。
目鼻立ちが似たりするのと同様に、ご先祖様からの良い部分だけでは無く、悪い部分も受けたりするのです。
生きている間の環境や食生活、更には、ご先祖様達からの影響もあり長寿の方や寿命が短い方もおられます。
人間は自身の欲を正当化してそれらを体系化することにより、あたかも「真実」であるかのように伝達し他に教える行為をするのですが、「何度も転生する」という願望がある未熟な存在位置を容認しているだけなのです。
真実とは違います。
過去の先人達は、体感により自然の循環と再生をある程度は理解をしていたのです。
大地にも「生」を感じ、海や山、木々にも「生」を身体で感じることが出来ていたのです。
ですから大きな意味での「転生」つまりは自然の循環と再生は、地球と言う位置にいる人間にもそう言った意味ではあるのです。
しかし、人間が死に、直ぐに別の人間として生まれ変わることはありません。
私に見えている真実は、死んでも欲を持ていて、更には生きている間に誤った知識を過剰に持ちすぎた方など
は未成仏なまま、今度は生きている人間に憑いたり、入ったりし
て、自身の欲を満たそうとしている姿です。
自身ではどうすることも出来ず(清まる手段を知らず)唯一の方法として生きているものに憑いて、何とかしようとしているのです。
生きている間に、正しい身体の感覚と、身体から得る正しい情報により学習することが出来ていることが大切なのです。
本来は、世代を重ねるごとに「清まり」、代々清い純度を継承して行くのが自然なのです。
亡くなったご先祖達も更に清まり、後世の
肉体ある存在達が、より早く清まれるように、清い空間(清い思いだけ)を遺すべきなのです。
しかしながら、現代社会では清まっていない未成仏な存在からの影響を受け、自分自身をコントロール出来なくなるケースが多発している有様です。
前世があり転生を繰り返し、正しい方向へ人間が進化し続けているのであれば、このような世の中にはなりません。
それが答えです。
本質をお伝えします。
色々な宗教思想もあり、皆様が賛否されることもあられるでしょうが、もうそろそろ古い感覚をぬぐい去り、頭だけで考えるのでは無く、身体で感じ考えることを知るべきなのです。
正しい体感から「理」を感じ、後世の人間へ「教え」といわれるものを遺した先駆者の立場になれば、「未だに現代人は、何千年も前に自分が言ったことを進化させられていないのか?!古い!」と嘆くはずです。
真実は、清い方向へ全てを転じ進化することです。
清い「地球」という空間を創ることに寄与し、更にはその空間から更に清い存在位置を創造することが地球以外の空間も清め、正しく進化させることへ寄与することなのです。
ご理解頂けましたら幸いです。