氏神さま

神社巡り

 

 

 

夕陽を背に目的の神社まで車を走らせました。

神社までの距離はわずか数キロなのですが、時の経過とともに空模様や山肌の色合いは目まぐるしく変化します。

それとは対照的に私の心は鎮まった状態で、氏神さまの神社に参拝した一連の出来事から受けた肉体の変化や体感した空間の変化をいつものように淡々と反芻していました。

私が一人で氏神さまの神社へ参拝したときには、今から参拝する神社の神さまについて体感することができていませんでした。

しかしながら、大川さんからの助言により、新たな神さまの存在を感じると神さまたちの刻の流れに全身の細胞が共鳴していることがわかりました。

心身が鎮まりきった状態で、すべてを神さまたちの刻の流れに委ねますと、その先には空間から全身で受けるさらに厖大な情報があります。

その情報を繊細に精査する必要があるのですが、今回の氏神さまの神社では、神さまの存在を遠隔で正確に捉えられなかった自身の空間認識力を客観視して、さらに深く学ぶことができました。

シフトレバーをパーキングにして車の鍵をオフに回転し、エンジン音が鳴り止んだ時には、いつもに増して神さまや大川さんに感謝する濁りのない清々しい気持ちで満ちていました。

神社に到着して鳥居の前に佇み、辺りを照らす光の方向を振り返ると山々に夕陽が姿を隠した瞬間でした。

大川さんと昨日の午後に参拝した神社は拝殿前から朝日を眺めることができる場所でしたが、こちらの神社は本殿や拝殿を背にすると正面に夕陽を拝むことができる位置に鎮座しています。

夕暮れの静謐なひと時を味わいながら、私はさらに心身を鎮めて神社境内に足を踏み入れました。

人影のない神社境内や地域の空間を繊細に感じながら、それぞれの気質を全身で受け止めます。

静観した夕月夜が芽吹く草木を照らし続けていました。

携帯電話に登録してあるリストのなかで私が最も目にする「大川知乃」の名前に触れ、いつものようにコールします。

そして、大川さんに神社の状態(体感より得る空間の良し悪し)をつぶさに報告します。

一点集中する力、意識の位置を変幻自在に移動して空間を繊細に捉える力、穢れた空間においても呼吸を変調させエネルギーをコントロールする力、それらをバランスよく活用し、集中力を絶やすことなく清い力で空間を祓い清め、神さまを本来あるべきよい状態にするのです。

一連の作業を私ひとりで全て行うことは可能になりましたが、万一の場合を考慮して必ず大川さんに報告と連絡、確認と相談をしたうえで、淡々と自身に与えられた責務を全うすることに傾注するのみです。

私個人の感情などはなく、仏教用語でいうところの「無」や「空」でいることを当たり前として、その先にあるさらに崇高で難易度の増した領域での作業が必要なのです。

そして、これらの作業ができるようになるためには、それを可能にできる心と身体を育む必要があります。

スピリチュアル好きな方には思い込みの激しい人が多々おられますので、みなさんに正しい認識をして頂くために少し解説しておきます。

正しく空間認識力を向上させ見えざるものを正確に捉えるためには、身長に見合った体重、体脂肪、柔軟かつ強靭な筋力を持ち備えていることは勿論のこと、自己主張、自己否定、自堕落など、穢れを生む精神状態ではなく、清い心身でいることが必要不可欠です。

人は肉体のある動物です。

空間認識力の高い人体には、身体的特徴も表れます。

汚れた空間でいることが前提である現在の地球環境下では、清くきれいな心身の持ち主であれば必ず心臓を中心に身体を護る傾向が表れますので、中心を人体の左側で取るようになるのです。

成人を迎えた大人であれば、約200から208個あるそれぞれの骨に対して、いかに負担をかけない人体をしているかを診れば、その人物が空間認識力の高い人であるか否か容易く解りますので、私に言わせれば一目瞭然です。

思い込みの激しい人は、思い込みが激しくなる人体の特徴をしています。(詳しく学習したい方は、私が指導する講座等にご参加ください)

穢れた空間での作業は人体への負荷が激しいばかりでなく、その穢れた空間に肉体も紛れもなく存在している訳ですから、時間の経過とともに人体もまた穢されますので身体のバランスを崩しやすくなり、さらには身体の異変により心も不安定な状態に陥りやすくなります。

そのようなことも思考と体感の両側面から正しく理解したうえで、自らの身体が穢されてバランスが変化する状態も客観視して冷静に受け止め、それでも安定した心身を保ちながら諸問題の解決のために尽力する力量が必要なのです。

自らの人体の変化を繊細に体感して正確に理解するだけではなく、それらを元の状態に祓い清め、整える技量がなければ継続した作業もできません。

私が整体を極め、創体から「清体」へ辿り着いた所以は、そこにあるのです。

さて、話を本題に戻しますが、二つの神社は二柱の神さまたちが共に表れて頂くことができる状態になりました。

拝殿前で神さまたちをお呼びしますと、確かに二柱の神さまたちが表れてくだいました。

私は大川さんに代わり、神さまたちにご挨拶させて頂きまして、しっかりとこの地域をお護り頂けるよう、二柱の神さまたちにお伝えしました。

神さまたちにご挨拶を済ませた時の境内は、静寂のなか、満ち溢れたご神気が漂っており、西の山々に夕陽が沈みきり、夜空には星々が姿を現しました。

私は未来を担うこどもたちが笑顔で過ごすことができる清くきれいな地球環境と明るい未来があるからこそ、多くの人たちが幸せを感じながら今を生きることができるのだと思います。

神さまや仏さま、大川さんとの神社仏閣巡りの目的もそこにあるのです。

地球が清くきれいな場所になることを願ってやみません。

神社仏閣巡りはまだまだ続きます。

 

ピックアップ記事

関連記事一覧

ABOUT

神さまたちとのお話しから導き出した幸せになる方法を皆さんにお伝えいたします。今日を、昨日よりも清い方向へ向かわせること。真実を伝える「清い言葉」が、皆さまのお役に立ちますように。
ABOUT

最新記事