身体を見れば全てわかる
清まること
人間は肉体を持つ生き物です。
「感じる」とは肉体が感じるのであり、鈍い身体は正しい感覚を持てずに思い込みや過った認識を自身にもたらします。
「穢れた身体」→「気を発しない身体」→「清い気を出せる身体」が正しい順序です。
まずは、自身の気を全く発しない身体になれなければ、正しい感覚は持てず正確に空間を感じることができません。
この過程を踏まえなければ、肉眼で見えないものを正確に感じることもできないのです。
勿論、清い気を発することも出来ません。
私と○氏は、人の身体に集中し、その人を感じ見れば「質」が解ります。
どの程度、穢れていて、どの程度、清まっているかが解ります。
身体に触れると更に細かな部分までが浮き彫りに解り確認出来ます。
私も○氏もかなりの訓練を致しました。
どんなに綺麗な服で身体を隠し着飾っても、自身の気を誤魔化すことは出来ません。
身体を見るとその人の存在位置は丸裸です。
「私は感じ、見える!」と言う人がおられても、身体を見ればそのお方の程度が解ります。
違う言い方をすれば、身体を清め調え「感じる」身体を創造することも出来ると言うことです。
思い込みの激しい人は、思い込みが激しくなるような身体をしています。
気の質も同様です。
欲を減らし、謙虚に心と身体を清める努力を毎日することです。
そして、試行錯誤し、欲を叶える為に知恵を働かせるのでは無く、自身を清める為に知恵を働かせるようにすることです。
日々、清まる為に知恵を絞り考えることが出来ればまずは言うこと無しです。
詳しくは、また書籍などでお伝えしたいと思います。
楽しみにしていて下さい♪