人間の勘違い
鈍重な存在ほど「思い」を残します。
繊細な存在ほど「思い」を残しません。
鈍重な人ほど、実は情報も少なく、単純で、動物っぽく、弱く、私利私欲に走ります。
繊細な人ほど、強く、実は情報量は多く、大きな視野で、他に利を譲れます。
詳しく説明致します。
力強く、縦横無尽に今の世の中で利を得て、地位と名声を築き上げている人ほど、動物っぽく「思い」に立脚して生きている存在です。
実は「思い」を重視している人なのです。
良く考えて見て下さい。
「ああなれば嬉しい」「好きだと思われたい」「綺麗だ、格好良いと思われたい」「権力がほしい」などと思い続けるのです。
その「思い」を、生きる為、心の安堵の為、つまりはそれらが自己をコントロールする為の材料であり、生命維持の為にそれらが必要な位置で、まだ生きている存在なのです。
その様な位置での一生なのです。
多くの方々は、繊細で、か細い人を「内向的」「心を重んじる人」「思い込む人だ」「行動よりも思いを持つ人」などと思っていませんか?
本当に敏感で繊細な情報を得る「体感」を極めて行くと「個人の思い」は無くなって行くと言うことです。
「全体」の情報を「体感」から得ると「全体」のことを考え行動することが当たり前になるのです。
本当に強く、賢く、正しく進化した存在が、讚美され、敬意を賞される存在になる世の中になるべきなのです。
人間は「体感」に目覚め、本来あるべき真実の方向に進化することに気付かなければいけません。
生命維持のみを重んじ「楽」を追及した鈍重な生き方を改めるべきなのです。
宜しいでしょうか?
繰り返しお伝え致しますが、現代人は知識を重んじ頭で考え、全てを決めつけてしまう傾向があります。
今の人間は、生まれてから死ぬまで(正確には死んでからも)思い続けている存在です。
一生を「個人の思い」に立脚して生き、沢山の「思い」を残し、撒き散らします。
亡くなる時も、(亡くなってからも)「まだ死にたく無い」だとか「早く楽になりたい」等と思い続けているのです。
「体感」の訓練をして、本来あるべき清く正しい、進化した位置の人間になることを目指して下さい。
そして、清い状態になれば「綺麗な良い思い」を全体に与えることが出来るようになります。
亡くなり、成仏(悪い影響を与えない状態)すると、今度はお身内に良い影響を与えられるようになるのと同じように・・・。
心を鎮め、綺麗な気を発する努力を共に致しましょう。