O氏について

神社仏閣巡り

 

 

今回はO氏について少しお話をさせて頂こうと思います。

出会いは2005年、5月でした。

初めてO氏を見た瞬間に、「この人はこんな所で何をしているのだろう?」と思ったのです。
勿論、初めてお会いしたのにも関わらず、昔から知っている人に久しぶりに会ったかのように、何故かそう思ったのです。
そう思った自分に正直驚いたのですが、と同時にこれは私が生まれ持ってある「未来の記憶」である事を確認していました。

不思議なことに私とO氏は初対面にもかかわらず、周りの方も初対面とは全く気付かなかったらしく紹介もして頂けませんでした。
そして、私も知らないと云えば嘘になるくらい確かに私の記憶の中では「知っている人」でしたので、「あれ?」と思ったものの、あまり違和感もなかったのでそのまま時間が通り過ぎていきました。
そして、「この人に会うまで随分と時間がかかったな。」と思ったのです。

この「未来の記憶」について少し説明をしておきます。
私はこの「未来の記憶」というものにずっと苦しめられてきました。
住む場所や会う人、身の回りの環境などなどの未来の図の記憶の断片が、日々の生活の中の所々にある事を、ある時に気がついたのです。

こんな所に住みたいな、という自分の希望ではなく、こんな所に私は住むという事を先に知っているのです。

こんな人に会いたいのではなく、こんな人に会うという事を先に知っているのです。

今このような文章を書いていますが、私が20代だった頃のある日、ある書店での出来事でした。
何か面白そうな本はないかな?と決まった目的はなく並んでいる本を見ていました。
そうすると、表紙が見えるように何冊か並んでいる場所で、何かを思い出すように私の名前の本が並んでいる図が見えました。
確かに私が書いた本でした。
内容はわかりませんでした。
その時、これもきっと私にある「未来の記憶」だなと思いました。
そして、その時にいつかはわからない未来に、間違いなく私の書いた本が並ぶのだなと思ったのです。
その時は、私には何も書きたい事もありませんでしたし、自分が文章を書くなんて思いもしませんでした。
書いてみた事もありませんでした。

こうやって、私は先に未来の断片を見てしまい、それに縛られ生きてきました。

気にしなければ良いと思われるかもしれませんが、日々私の意識はその見える未来に向かわされている感じがし、「本を書きたい」という欲求よりも先に、「大変、私は本を書かなければならないのだ。」という思いが、どこからやってくるのかもわからず、いつも困っていました。

例えば「本を書きたい。」と思っているならば、本を書く為の勉強をしたり、書いてみたりと、やりたい事に向けての準備が出来るのだと思うのですが、「書きたい。」ではなく「書かなくてはならない。」と言う思いに、気が付けばなっているという異常な事態に、どうすれば良いのかがわからず、いつも焦っていました。

この未来の記憶には、時間が刻まれていないので、何時それがやって来るのかが全くわからず、数々の未来の記憶に私は振り回され、その見える未来に出会うまで、それら(人、場所、出来事など)を追い求め、探し続けて来た人生であったのではないかなと思います。

今現在も尚、その見える未来をうんざりしながら追い求めてはいますが、昔見ていた未来の図に少しづつ近づいて行っている事を感じています。

そして、O氏もその私の未来の記憶の中に居た方だったのです。

しかしこの記憶、私だけにしかないので大変なのです。
明らかにO氏にとって私という存在は初対面なのですから、、、。
しかし、万が一O氏にも「未来の記憶なんかあったりして、、」と、かすかな期待を胸に
O氏の横顔を見ながら、「この人は私を覚えていないんだ。」と当たり前なのはわかっていましたが、何となくショックであった事を覚えています。

私は正直面倒くさいなと思いました。

O氏が覚えていてくれたら話は早いのに、O氏に思い出してもらうまでにどれだけ時間がかかるのだろう?思い出さなかった場合どうすればいいのだろう?と思ったからです。
それに、今現在O氏が何を考え、何を求め、何をして生きている方なのかを私は全然知りませんでした。

私も全ての記憶がある訳ではないので、会う事は知っていましたが目的が見えませんでした。
しかし、何らかの目的があるから会った事もわかっていました。

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